龍子の扉


龍子は、中谷吉隆の俳号です。

中谷取材ノート 過去に取材した思い出深いシーンを
紹介

中谷取材ノート ―前衛俳句の旗手・金子兜太さん他界へ―

岩松院での一茶の〈痩蛙まけるな一茶是に有り〉句碑と。
岩松院での一茶の〈痩蛙まけるな一茶是に有り〉句碑と。
皆子夫人(2006年没)の手をかり句碑用の揮毫。
皆子夫人(2006年没)の手をかり句碑用の揮毫。
私のために名句〈暗黒や関東平野に火事一つ〉の色紙を書いて下さった。裏面に、中谷吉隆大人にと揮毫があり、俳句をたしなむ今日では宝物である。
私のために名句〈暗黒や関東平野に火事一つ〉の色紙を書いて下さった。裏面に、中谷吉隆大人にと揮毫があり、俳句をたしなむ今日では宝物である。
写真4
湯田中温泉の町を散策。一茶まんじゅうの店前で。
湯田中温泉の町を散策。一茶まんじゅうの店前で。
主宰誌『海程』の句会後、同人たちと豪快に飲む。(いずれも1987年撮影)
主宰誌『海程』の句会後、同人たちと豪快に飲む。(いずれも1987年撮影)
俳句造型論を提唱し、戦後の現代俳句をリードしてきた反骨の俳人・金子兜太さんが白寿を前に98歳で亡くなった。

以前、2014年2月の「伝えたい昭和」の稿で一度書いたが、取材でお会いしたのは昭和62(1987)年で、私自身はまだ俳句に手を染めてなかった。しかし、その後、俳句を始めフォト俳句を手掛け、全日本写真連盟の会員誌「フォトアサヒ」(2015年10月号)に掲載した作品(寅さん愛用の背広の写真に、〈旅にありて人の恋しく火の恋し〉という句を付けたもの)が、金子兜太さんの目にとまり、「あれは素晴らしかった」という感想の葉書が朝日新聞の関係者に届き、それを見せられた時の感激はあまりあるもので、早速に礼状と共に取材時での写真を送ったこともあり、追悼の意味も含めてもう一度書くことにした。

東京帝国大学卒業後、日本銀行に入行し、すぐに海軍主計中尉として南洋のトラック島に赴任。捕虜生活を経て復員し、日銀マンとして各地の支店に勤務する傍ら、自由で個性的な表現を求める俳句造型論を提唱して、伝統俳句ではない新潮流を代表する存在となってゆく。また南洋での戦争体験から平和を鋭く希求しての句づくりに専念し、〈水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る〉、〈湾曲し火傷し爆心地のマラソン〉などの代表句を残す。一方で神戸支店時代に「俳諧と衆庶の結びつきの根っこ」を持つ小林一茶と出会い、その人間臭さに惹かれたと研究にも情熱を傾け、一茶が自称した「荒凡夫」を座右の銘とし、社会を離れて生きた種田山頭火らの研究にも没頭する。

長野県小布施町の岩松院にある〈痩蛙まけるな一茶是に有り〉の句碑と共に撮った一枚や、湯田中温泉の梅翁寺にある一茶坐像に見入る表情には、いかに一茶に惚れこんだかを感じるものがあったことを思い出す。また湯田中の大衆浴場に同湯したときは、強面の近寄りがたい雰囲気とは違い、あれこれと話してくれる優しさがあった。また色紙や句碑用への揮毫(きごう)の骨太の文字は、まさに金子兜太という人間性をいたく感じた。今頃は天界で新しい俳句の世界を切り拓いているに違いない。合掌。

ご案内 ・・・・・・・・
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info@nakatani-photohaiku.com

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